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本格醸造『最上白味醂』の仕込み

最上白味醂の仕込み風景

味醂の仕込み

みりんは日本酒の一種のようにお考えの方がおられますが、その製法は日本酒とは異なります。
もち米、米麹、醸造アルコールや焼酎を主原料とするみりんは、日本酒とは違って酵母による発酵過程がありません。すなわち、高濃度のアルコール溶液の中で麹の酵素群の作用により、もち米から糖・アミノ酸・有機酸・香気成分などが産出されます。
そして仕込み後、しっかり保温し、60日間以上の糖化・熟成期間に上品で深い甘味、複雑な風味やうまみが生み出され、みりんが醸造されます。
ここでは当蔵の仕込み風景と合わせてみりんの作り方を簡単にご紹介いたします。

原料処理

当蔵では原料に使用されるもち米、麹米はすべて国内産を使用しています。
調達された米はよく精米し、玄米の外側にある灰分や脂質を取り除き、過剰なタンパク質を取り除きます。昔はよく精米したお米を使用して造られたみりんは色が薄くきれいなので「白みりん」、反対にそれほど精米していないお米で醸造されたみりんは色が赤っぽいので「赤みりん」と呼ばれたそうです。(最上白味醂の「白」というのは白いからではないのです。)
 精米されて蔵に入ったお米は、洗米して糠を洗い落とし、浸漬・吸水されて翌朝の蒸きょう(ふかすこと)を待ちます。

蒸きょう

前日に洗米されたお米は大きな蒸米機(コシキ)で蒸しあげられます。当蔵のコシキは和釜を用いています。
この工程で原料米のデンプンは糊化し、タンパク質は変性し、脂質の半分は揮散します。
蒸されたうるち米は麹つくりに、もち米は仕込みにと使用されます。

もち米蒸しあげ作業
上は仕込み当日にもち米を蒸しあげているところ。2トン近いもち米が二段のコシキに入っています。

もち米のデンプン質やタンパク質を分解し、美味しいみりんを造るために一番重要な役割を果たすのが『麹』です。
当蔵では清酒同様、麹は独自の製法により手造りしたものを使用しています。清酒の技術が活きている、それが「最上白味醂」の味の秘訣となっているのです。

麹
出来上がった麹は、麹室から出され、仕込みのために蔵に運ばれ用意されます。

仕込み

当蔵は昔ながらの手作業でみりんを仕込みます。
蒸しあがったもち米は人の手でコシキから掘りあげられ、桶で担がれ、手作業で麹と混ぜられてさらにまた肩に担がれてタンクへと仕込まれます。
熱い湯気が立ち上る蔵の中を行き交う人々の姿は、馬場本店酒造の伝統的な仕込み風景です。

蒸米をタンクへ運び作業

男手が桶を肩に担いで蒸米を運び、女手は蒸米に手際よく麹を混ぜ込みます。そして麹と混ざって粗熱がとれたもち米はさらに男手によってタンクへと仕込まれていきます。基本的にはこの繰り返しですが、ちょうどよい温度で仕込むために細心の注意が払われます。

蒸米運び

江戸時代天保期に建てられた仕込み蔵にはスノコと麻布が敷かれ、その上に手造りの麹が広げられています。
蒸しあがった熱いもち米を 麹とかき混ぜるのは意外と大変な作業です。また運び手との調子も合わせなければなりません。
仕込みは蔵人はじめ皆が力を合わせないと出来ないのです。

麹と蒸米の混ぜ合わせ作業

本格醸造味醂日本一 『最上白味醂』

日本一最上白味醂


『最上白味醂』醸造元の(株)馬場本店酒造は千葉県香取市佐原で県北西部に位置しており利根川の下流域にあります。
当家の初代は、天和年間(1681~1683)に大和国(奈良県)より佐原の地に渡り、糀屋を興したと記されています。酒造りを始めたのは五代目、時代は天保十三年(1842年)のことです


江戸幕府の開府に前後して整備された利根川、その利根川は江戸への物資輸送の要として多くの廻船が行き交い、佐原はその中継地として繁栄を極めていました。また、水郷と言われるほどの豊富な水と、その水を利用した米づくりも盛んであったようです。


 米どころに豊富な水があることから関東の灘と言わしめるほど酒造りが盛んになり、かつて周辺には三十六軒もの醸造家が存在していたようです。
利根川の水源に恵まれ、昔から水運で隆盛を誇った佐原の町。経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祭神とする香取神宮を始め、江戸まさりと称される美しい町並み、絢爛豪華な山車(だし)祭りで有名な佐原の大祭。日本で始めて日本全図を作ったことで有名な伊能忠敬が生涯を過ごした町としても有名で、現在では観光客で賑わいを呈しています。


そういう歴史のある佐原の町で、三百余年にわたり、古来伝統の製法を守り、日本酒・味醂の醸造を家業としている馬場本店酒造の本格醸造の最上白味醂。
最高級の国産原料米・山田錦をはじめ国産のもち米等使用し、佐原南部洪積大地より湧き出す地下水を使用し、安全・安心な酒造り・味醂作りをしています。


最上白味醂が作られ始めたころは、女性などに喜ばれた甘味の酒で、特に夏の暑気払いとして飲まれていたようです。いろいろな栄養素が麹(こうじ)から溶け出ており、夏負け防止の総合ドリンクとなっていたのでしょう。ご家庭はもちろん昔からの蕎麦屋さん、うなぎ屋さん、料理屋さんに、観光客のお土産に大変重宝されております。


佐原に在住していた山内達郎氏「東京修行時代」のエピソードに……..
 神田に居た頃、「馬場本店」で造った『最上白味醂』が新川に陸揚げされると、東京中の酒屋が押し寄せて一日で無くなった・・・
昔から味醂といえば沢山あるけれど、東京の連雀町(現在の千代田区・内神田)あたりの料理屋でもやっぱり佐原の味醂は有名でした・・・
と、このように佐原の味醂の人気があげられていますと記されています。。

日本一最上白味醂